
こんにちは、ズボラ主婦のまるです。
今日は、私が「ひとつだけ家事を放棄した夜」の話をします。
日々の暮らしって、気づかぬうちにたくさんの“やらなきゃ”で埋め尽くされてませんか?
朝の支度、仕事、洗濯、夕飯づくり、片付け、子どもの宿題チェック、明日の準備…。
気がつけば一日が終わっていて、自分の時間なんて、ゼロ。
そんなある日、私は「もう無理!」と思って、食器を洗わないことにしたんです。
食器がシンクに山積みでも、私はソファに倒れ込んだ
その日は本当にクタクタで、朝からバタバタの連続。
仕事では急なトラブル対応。 保育園からは「お迎え早めにお願いします」と連絡が入り、慌てて早退。
夕方、帰宅してからも、ぐずる子どもをなだめながらなんとか夕飯を準備。
「ごはんできたよ〜」と声をかけて、食卓に並べたあと、 子どもと一緒に笑いながら食べたまではよかったんです。
でも、そのあと。
山のように積み上がった食器を見て、 心が「プツン」と切れる音がした気がしました。
「……今日は、もう、無理」
私は、そのままシンクを見なかったことにして、リビングのソファに崩れ落ちました。
「ちゃんとしなきゃ」の呪縛がゆるんだ瞬間
罪悪感は、もちろんありました。
食器を洗わないまま夜を迎えるなんて、 母親として、主婦として、どうなんだろう…?
でも、それと同時に、
「あ、私、今自分を守ったかも」って、ちょっとだけ思ったんです。
誰かに責められたわけじゃないけど、 自分の中の「理想の母親像」がずっとプレッシャーだったんだと気づきました。
「全部きちんとやらなきゃ」は、自分を壊す原因になる。
だから、その夜、私は食器を洗わなかった自分を責めないことにしました。
むしろ「やらない勇気、ナイス!」と、自分に小さく拍手を送りました。
翌朝のキッチンはそのままだったけど、私は元気だった
翌朝、キッチンに立つと、 そこには昨晩そのままの食器たちが静かにたたずんでいました。
でも、不思議とそれを見てもイライラしなかったんです。
むしろ、「昨日、ちゃんと休めたから今日がんばれる」って気持ちが湧いてきました。
子どもにも笑顔で「おはよう」が言えた。
朝ごはんも、いつもより少し丁寧に作れた。
きちんと全部やろうとしすぎて、心がカサカサになっていたことに、ようやく気づいた朝でした。
“やらない”って、実はとっても大事
「休むためにやらない」という選択。
これって、怠けじゃなくて、生きていくために必要な“技術”だと思うんです。
もちろん、毎日やらないわけにはいかない。 でも、「今日はやめておこう」って決められる日があると、心がちゃんと守られます。
それに、食器って、翌朝洗えば済むんですよ。
シンクがちょっとにぎやかなくらい、命に別状はない!
“やらない”が、家族にも伝わる優しさになる
「今日は疲れてるから、ごめん、明日の朝に洗うね」
そう口に出してみると、意外と家族は受け入れてくれます。
むしろ、子どもが「ぼくが洗ってみようか?」と言ってくれたこともありました。
「疲れたから休む」って姿を見せることも、ひとつの教育なのかもしれません。
完璧な母よりも、 人間らしい母でいることの方が、 きっと子どもにも優しさとして伝わるんだな、と思いました。
まとめ:食器を洗わなかった夜も、ちゃんと生きてるよう

家事を「全部やりきること」が素晴らしいわけじゃない。
できなかった日も、休んだ日も、それは“生きるための選択”だと私は思っています。
今日、疲れてるあなたへ。
もしシンクに食器が山積みでも、 ベッドに倒れ込んでしまっても、
それだけで、あなたは充分がんばっています。
「今日くらい、洗わなくていいよ」 そう自分に言ってあげられたら、きっと明日の自分が笑っています。
そんな風に思えた夜を、私は今でも「正解」だったと思っています。